法住寺(ほうじゅうじ)
番外
寺名 法住寺
山号  
宗派 天台宗
所在地 京都市東山区
開基:藤原為光
SPOT
平安時代中期に藤原為光によって創設され、その後院政期にはこの寺を中心に後白河上皇の宮廷「法住寺殿」がいとなまれた。法住寺殿が木曾義仲によって焼き討ちされ、数年を経て後白河上皇もなくなると、法住寺は後白河上皇の御陵をまもる寺として江戸時代末期まで存続、明治期に御陵と寺が分離され現在にいたる。
京都は三十三間堂の東向かいにあり豊臣秀吉の側室・淀殿が父・浅井長政の供養のために秀吉に願って創建した養源院の隣にある


Snap shot
お寺の額 門扉の彫刻
本堂 竜宮門
御陵正門
岩には後白河法皇が好きだったという今様の一節
「遊びをせんとや生れけむ」が刻まれている
ブログでは京都非公開文化財特別公開について書いています。
四十七士の小木像
赤穂浪士 大石内蔵助は山科に閑居して好機を待ち受けていた時に、この寺に大願成就を祈願したと言われる。
後白河法皇木像 本尊 身代わり不動明王像





朱印


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