展覧会

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展覧会を後日ホームページにしてます

クールベ展 狩人としての画家


大阪市立美術館 2003.1.10〜2.161

本展は国内では1989年ブリヂストン美術館以来の国際的な出品による大規模な個展として、フランス、アメリカ、国内に所蔵される油彩画のみ約70点の出品により、クールベ芸術を現代日本人の目で見直す格好の機会に致したいと考え、企画したものです。ことに本展では、自ら森に入り、狩猟を好んだクールベを、「ハンターとしての画家」としてとらえ、その作品を画家の欲望の対象物(=標的)として、画家の意図や作品の現代的な意義を問い直す展示構成にいたしました。

つまり本展ではクールベ芸術の本質を,レアリスムという理念的な政治宣言よりもむしろ,根底的な自我の欲望の昇華の過程における自己表出と考えます.その際に,この画家は表現形式に自ら好んだ狩猟者の標的を狙うスコープ枠内の構図をアナロジーとしてとったのではないか,と仮定してクールベ絵画の全ジャンルー男女人物,動物,風景,静物ーを見直す試みそのものが,本展のサブタイトル「ハンターとしての画家」の趣旨なのです.

省みれば、日本人による画家クールベの紹介の歴史は、明治26年に林忠正将来のクールベ作『景色』が、明治美術会春季展に初めて参考出品された時に遡ります。一足先に紹介されたミレーやコローがその詩的なイメージによって一般の庶民に愛好されたのに比べ、クールベは主に洋画家によってその重厚なマチエールや大胆な筆致など、画家独自のダイナミックな画風が評価されていました。また昭和の初めには、前田寛治や硲伊之助が次々とクールベ画集を編纂していることも、当時の日本の画家にクールベの社会的なテーマへの関心が共通していたことを示す好例でありましょう。そして戦後では国立西洋美術館の開館とともに、旧松方コレクションの8点が展示公開されたことが、日本のクールベ・ファンの普及に大きく役立ち、最近では国内の公私の美術館や個人蒐集にも優れたクールベ・コレクションが見られるようになりました。本展は以上の趣旨をふまえ、国内の出品作品を重視し、40数点の日本のコレクションの優れた内容を改めて世界に紹介いたします。

会場としては、東京では10点もの驚異的なクールベ・コレクションを持ち、バルビゾン派の専門美術館としても日本一の規模を誇る八王子市の村内美術館を立ち上がりとし、次に大阪市立美術館、名古屋市の松坂屋美術館、そして最後に財団法人ひろしま美術館という、それぞれ規模と管理の充実した4館を巡回いたします。全国のクールベと19世紀絵画ファンの皆様、ゆっくりとご鑑賞下さい。


巡回
東京 村内美術館ー大阪 大阪市立美術館ー名古屋 松坂屋美術館ー広島 ひろしま美術館


傷ついた男

 1844-54頃 
パリ、オルセー美術館
クールベは若くしてすでに多くの自画像を遺しているが、この絵が最もロマンティックで自己陶酔の強い肖像である。大木の根元でサーベルを脇に置き、決闘で敗れたかのように横たわる瀕死の青年は、「芸術の殉教者」たるクールベの運命を象徴するイメージとなった。

パイプをくわえた男

1848-49頃 仏・モンペリエ、ファーブル美術館 
1850-51年のサロン展に大作《オルナンの埋葬》などとともに出品された自画像の傑作で、当時の大統領ルイ・ナポレオンが国の購入候補に入れたが、予算削減で没になった経緯がある。行動する若き芸術家の自信と不安、希望とメランコリー、意思と怠惰など複雑な感情がこの肖像にすべて描かれている
エトルタの海岸,夕日

1869 新潟県立近代美術館 
クールベは、アヴァルの断崖を中心とした実にさまざまな表情のエトルタを描いているが、本作では、特に気象状況によって変化する光と色の効果を追求しており、霞んだブルーの空を覆う複雑な雲や、赤からオレンジに変化する色のグラデーションで表現された地平線など、微妙に変化する夕刻の海岸風景を劇的に美しい色彩でとらえている

シヨン城

1875 箱根芦ノ湖美術館 

確認できる21点のシヨン城中、城を遠くからとらえた4点に属し、夏の緑の森を映す鏡のような水面と、雪解けした背景のフランス・アルプスとの調和が最も美しい。この1875年は故郷で最愛の妹ゼリが没し、パリではヴァンドーム円柱破壊の賠償判決が確定した、画家にとって最悪の年であった。この絵の平穏清明きわまる画境に、失意のクールベはさぞかし逃避したかったのではあるまいか

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