四天王寺 |
第六十番 寺名 四天王寺 山号 荒陵山 宗派 和宗総本山 所在地 大阪府大阪市天王寺区
2004.10.2 参拝
2015.9.30 再参拝
SPOT 五重塔
1400年前に聖徳太子によって創建された日本最古の官寺が四天王寺である。(寺としての最古は飛鳥寺であるが、この寺は蘇我氏の私寺)
「天王寺さん」と親しみを持たれて呼ばれている庶民のお寺。近くにありながら参拝するのは初めて(五木寛之さんも初めてだったとのこと−笑−)
元々、天台宗であったが、昭和24年から、「和宗」という宗派を名乗っている。聖徳太子が制定した十七条憲法の「和を以て貴しと為す」から名付けられた。
Snap shot
四天王寺式伽藍
諸堂が一直線に並ぶ方式。現在建物として残っているのは四天王寺だけ。南大門 境内の中から
石灯籠の手前の玉垣内に、熊野権現礼拝石がある。ここで熊野詣の安全を祈願して参拝のスタ−トをした。仁王門 五重塔の最上段
内部は拝観出来る。昭和34年8度目の再建。塔の総長は39.2mその内相輪は12.3m。鉄骨鉄筋造りながら木造のように美しく見える。屋根は本瓦葺。金堂
本尊の救世観世音菩薩が安置されている。後方が講堂回廊
奥に講堂が見える。参道
JR天王寺から暫く歩くと「四天王寺 参道」の赤い旗が案内してくれる。石の鳥居 重要文化財
創建時は木造だったが、1294年に石造りに。
日本三鳥居の一つ(金峯山寺の銅(かね)の鳥居、安芸の宮島の鳥居)
扁額には、「釈迦如来転法輪処当極楽土東門中心」と浮き彫りされている。
古代の大阪湾は、この石鳥居の近くであった。
ここから大阪湾に沈む夕日は格別であっただろう。その向こうに浄土を見たのかも...
引導石
引導とは、釈尊が「生者必滅・会者定離」の人生無常の迷いの世界より、人々を究極の悟りの世界へと導くこと。引導鐘
納骨の時に、引導石を拝み、この引導鐘を三度鳴らすと聖徳太子が現れて、浄土の世界に導いてくださると伝えられている。一回一誦
これを一回、回すと般若心経を一巻となえたことになるという説明。
なんとも安直ながら、何回か回して見た。お砂踏み場
西国巡礼八十八ケ所の寺名を書いた石が並んでいる。ここで砂を踏んで回ると巡礼と同じ有り難さがあるとのこと。300円必要。極楽門(西大門)
この日は、お彼岸を過ぎていたが、垂れ幕はまだ残っていた。転法輪
極楽門の柱にある。あらゆる迷いの心が滅し、身心が清浄になりますようにと念じて、右に回す。北鐘堂 六時堂 重要文化財 亀井堂
経木流し供養が行われている聖霊院
南鐘堂 阿弥陀堂 なで布袋尊
なでた所の御利益がある。
背中の袋をなでると財を呼ぶ。宝くじ当たるかも。総本家 釣鐘屋
屋根に釣鐘がある。四天王寺の釣鐘を模している。参道にある。総本家 釣鐘屋の饅頭とセンベイ。
どこの百貨店にも卸していませんとのこと。日本料理 たかおか
近くで食事するならおすすめ。
近くの一心寺に法要が有ったときに寄った。
「吉兆」で修行した料理が出てくる。少し高い。
2015.9.30 再参拝
乾門 四天王寺前夕陽ヶ丘駅から四天王寺に来ると最初の門です 中之門 地蔵山
明治時代に近郷及び境内諸方より集めた有縁無縁の地蔵尊を、中之門を入った南側の小丘に合祀したのが始まりである。元三大師堂
元三大師をお祀りする、お堂で、元和4年(1618年)の建立です。元三慈恵大師良源は第18代天台座主であり、叡山中興の祖といわれています。また、おみくじの創始者でもあります。大黒堂
極楽門 の向こうにはハルカスが見える 見真堂
浄土真宗の祖である、親鸞聖人を顕彰し、建立されたお堂です
極楽門
昭和37年、松下幸之助氏の寄贈により再建された西大門は、極楽に通ずる門の意味から、通称 極楽門とよばれている。転法輪
極楽門の門柱に転法輪があり、参詣者はこれを回転させ、直接法門に触れることにより、洗心の功徳を積むことができる。
西重門 から
五重塔は工事中でした
五重塔の耐震改修工事は平成27年9月8日〜平成28年6月末日の予定阿弥陀堂
現在の本堂は、昭和28年に四天王寺末寺の三重県国束寺(くずかじ)の本堂を移築したものです。万燈院
紙衣仏(かみこぶつ)をお祀りしているため紙衣堂ともいいます。紙の衣を着て修業した羅漢さんを形どったこの仏さんは病気回 復に功徳があるといわれ、毎年10月10日の衣替え法要は多くの信者さんで賑わいます。南大門
往古より熊野詣にはまずこの場所にて熊野を遥拝し、道中の安全を祈り、熊野街道を南へと向かったと言われている仁王門 後方に工事中の五重塔が見えます
「中門」なのですが脇に仁王像(密迹金剛力士・那羅延金剛力士)が置かれているので「仁王門」とも呼ばれます。仁王像
仁王像の重さは一つ1トン。奈良東大寺の仁王像の次に大きい。仁王像 南鐘堂 正式名称は、鯨鐘楼(げいしょうろう)といいます 太子井戸屋形 唐門
四天王寺には二つある 五智光院の入口と南大門の東にある入場門。二つの唐門には 五智光院ゆかりの徳川家 葵の紋が見事な門扉がある聖霊院太子堂 宝物館
ブログ 秋季名宝展「阿弥陀さまとお地蔵さん―導きのほとけ―」 四天王寺宝物館六時礼讃堂
重要文化財 内中央に位置する雄大なお堂で、昼夜6回にわたって諸礼讃をするところから六時礼讃堂の名があります。
手前が石舞台 亀の池の上に架かっている石橋に組まれた舞台で、毎年4月22日に聖徳太子を偲んで行われる聖霊会舞楽大法要の際には、古来よりの作法にのっとり舞台上で舞楽が舞われます。亀の池の亀 北鐘堂
正式には、黄鐘楼(おうしょうろう)といいます。北の引導鐘・鐘つき堂とも呼ばれ春秋の彼岸にはお参りの人でごったがえすお堂です。このお堂の鐘の音は遠く極楽までも響くといわれ、先祖供養のための鐘の音が絶えません。
四天王寺 境内 ハルカスの展望台からの撮影 2014.9.22撮影
五重の塔工事の前
朱印
五木寛之の一言 大阪大空襲の時に、大阪の市民と運命をともにした「庶民の寺」。
だからこそ、人びとは四天王寺を必死で甦らせようと努力し、それがこうして成就したのだろう。
kazu_sanの一言 参道で見つけた巡礼の用具店の看板娘。
境内に十七条憲法の第4条が掲示されていた。
百姓(おおみたから)礼有れば、国家自ずから治まる。
今風も、併記していた。
国民に礼儀が保たれていれば、国家はおのずと治まるものである
聖徳太子の願いは、1400年経っても、まだ達成出来ずか。
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