江戸時代、大坂の中心部に
日本最大の銅精錬所があった

寛永年間(1640年ころ)住友家2代、友以(とももち)によって開かれた銅精練所跡である。当時大坂は銅精練業の中心地で、両横堀・長堀など川沿いの舟運の便利な場所に多くの銅吹所があった。輸出用の銅はすべて大坂でつくられ長崎へ送られた。そのうち、住友銅吹所が最も有名であった。
長堀川と東横掘川が合流する南西の地点地点に日本最大の銅精錬所があった。銅の精錬のことを「銅吹き」といい、住友銅吹所では日本の銅生産量の三分の一を生産していた
敷地は東西130m、南北約40mで東半分が銅吹き所の作業所、西半分が本店・居宅であった
銅吹き事業、銅貿易、別子銅山などの鉱山経営、両替商の成功が後の住友財閥発展の基礎となった

住友銅吹所跡

史跡公園
るつぼ
1591年になると、住友の蘇我理右衛門が泉州堺にて貴金属を多く含む粗銅の地金から金銀を取り出す応用法を南蛮人から伝授され、これは南蛮吹き(南蛮絞りとも)と呼ばれた。1701年には銅座が設立され、全国の銅山から荒銅が大坂銅吹屋(泉屋他)に集積されて南蛮吹により精銅と灰吹銀が分離された。
レプリカのミニチュア銅橋
明治初年、経営が極度に悪化していた住友を救った広瀬は明治12年(1879)、大阪鰻谷の住友本邸に別子産銅で製作した銅橋をかけ「事業は石橋を叩いて渡るがごとく、確実を旨とすべし」と家長以下自らも戒めていた
わが国最古のビリヤード場
この地の銅吹所閉鎖後、明治12年(1879)に建てられた。独立建物のビリヤード場としては、わが国最古のものである。当初は壊す予定であったが、希少性の高い建造物であり、鰻谷本邸に残る唯一の建物であるため保存されることになる。
三井住友銀行第一事務センター新館
かつての銅吹所跡、手前に史跡公園がある
三井住友銀行大阪事務センター
新館の向かい側
三井住友銀行鰻谷用品庫
新館の北側
史跡公園

2003.10.20に大阪歴史博物館でよみがえる銅(あかがね)展−南蛮吹きと住友銅吹所− 
がありました
大阪歴史博物館の同展覧会のホームページはここ
2012.11.18 大阪市立科学館の展示で 住友長堀銅吹所としてパネル展示されていました 
大阪市立科学館   関西文化の日


以上  戻る 大阪面白散歩

SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送