高桐院(こうとういん)
番外
寺名 高桐院(こうとういん)
山号  
宗派 臨済宗大徳寺派
所在地 京都府京都市北区紫野大徳寺
大徳寺塔頭
SPOT
参道 この参道が素晴らしい。50m程或る、当日は大混雑で、向こうから人が来ないタイミングは、めったにない。
臨済宗大徳寺派大本山大徳寺の塔頭のひとつである。
開基(創立者)は細川忠興(三斎)-細川幽斎の長男、
開山(初代住職)は玉甫紹j(ぎょくほじょうそう)-細川 幽斎の弟である。
細川忠興(三斎)は、丹後宮津城主を経て豊前小倉藩初代藩主。熊本藩細川家初代。正室は明智光秀の娘・玉子(通称、細川ガラシャ)。
ブログ高桐院(こうとういん) そうだ 京都、行こう


Snap shot
表門 参道の奥、勅旨門の上の紅葉
勅旨門辺りの紅葉 勅旨門辺りの紅葉
玄関は大混雑 すごい人です 方丈庭園
方丈庭園 方丈庭園
方丈庭園 灯籠だけがポツンとあるのがいい 方丈庭園
方丈の中から お庭にはスリッパで出られます。
三斎と夫人ガラシャの墓とされる石灯籠。
この石灯籠は千利休が愛用した灯籠であったが、秀吉が欲しがったため、灯籠の一角を壊して召し上げられるのを逃れたといわれる灯籠。利休が切腹の前に遺品として三斎に贈った。
細川家代々の墓
初代から第12代まで歴代の当主が2列の墓標として祀られている
これは有名な袈娑形のおり蹲踞(つくばい)。加藤清正が朝鮮王城羅生門の礎石を持ち帰り細川忠興に贈呈したもの。直径90cm、出ている高さ70cm。 もう一度参道を・・・てすりは孟宗竹。





朱印

kazu_sanの一言
一鳥鳴山更幽 
(一鳥鳴いて山更に幽なり)。静寂の中に響き渡る鳥の一声によって更に静寂感が深まる情景です。当寺の住職の筆。
「鳥」が絵になっている。

ガラシャの最期は、はかなくも壮絶でした。
慶長5年(1600)7月17日、夫の忠興は、徳川家康に従い上杉征伐に出陣し、ガラシャは大阪邸の留守を守っていたが、石田三成の軍勢に囲まれ、人質として大阪城入城を迫られる。
しかし、「私が人質として入城すれば夫の足手まといになる」と、人質を拒み、キリスト教が自害を禁じていたことから家臣(小笠原少斎)に長刀で胸を突かせて刺殺させ、館に火を放ち、落ちる屋敷とともに悲運の最期を遂げた。38歳の生涯であった。

ちりぬべき 時知りてこそ 世の中の 花も花なれ 人も人なれ(辞世の句)

彼女の子孫である細川元首相が、議員辞職の会見でこの句を引用した。


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