一心寺
番外
寺名 坂松山高岳院一心寺
山号 坂松山
宗派 浄土宗
所在地 大阪市天王寺区逢坂
骨仏の寺 法然(開山)
SPOT
山門と仁王像

1185年(文治元年)の春、四天王寺の別当であった慈円の要請によって、法然が四天王寺の西門の坂のほとりに、四間四面の草庵を結び、「源空庵」と称して住んだの開基です。

本誉存牟(ほんよぞんむ)上人が一千日の念仏修法を行い、寺を再興した。彼の一心称名をもって寺ができたため、一心寺という名になったといわれる。
1600年、関ヶ原の戦いがあった年、徳川家康公の第8男仙千代君が夭折し、一心寺で葬儀が営まれた。以来、家康公との結びつきが強く、慶長19年(1614)の大坂冬の陣では家康公の本陣が当地におかれた。
山門は、平成9年に完成。素手で裸形の仁王は、非暴力で社会の悪に立ち向かう姿を現す。
もう何回も参拝してます、いつもながら参拝者で境内は大変な混雑です。前回の天王寺七坂以来の参拝です。
盆の間だけの施餓鬼法要が年中無休でできる寺として知られ、また宗旨に関係なく参詣や納骨を受け入れる寺でもあったため、全国から多くの納骨が集まった。
お墓を作ってない人や、お墓があっても将来的に参拝が期待できない人は、ここに分骨する習慣がある。
堀越神社

Snap shot
門扉 天女のレリーフ
門扉 天女のレリーフ
秋野不矩氏の原画を元に作られている
本堂 念仏堂
手水舎 鐘楼
納骨堂 納骨堂
参拝の時に、ロウソクを奉納。 線香も、奉納する。
納骨堂には骨仏(阿弥陀仏)が安置されている。
10年分の納骨をまとめて一体の阿弥陀仏になっている。
おまいりする時に、どの阿弥陀仏に入っているのかを確認する表です。
開山堂 法然上人が祀られている 法然上人の御廟 
本多忠朝の墓
酒封じ祈願。
南門
これは何? これも何?
一心寺シアター 「倶楽」 三千仏堂
雪山弥陀三尊像 高さ10m、巾25m
三千仏堂
千体仏と十二神将が周りを囲んでいる。
寅神 真達羅大将 寅年の人の守護神
南会所
堀越神社  大阪市天王寺区茶臼山町
聖徳太子が叔父にあたる崇峻天皇の徳を偲び、四天王寺の守り神として、四天王寺建立と同時に、風光明媚な茶臼山の地に建立されたと伝わる。
最近、パワースポットとして、メディアに登場することも多いようです。JR天王寺から一心寺への途中にあり、「あっ、ここよこの間 本に載ってのは・・・・」と言って立ち寄る人も多いようだ。
寺のHPからメディア登場を転載しました。
PLUS LUMINO(2009年12月号 No.015)、関西ウォーカー(2009年12/15→10年1/5号)、 日本経済新聞 夕刊(平成21年8月20日)、Hanako WEST(9月号) 等々
「堀越さんは一生に一度の願いを聞いてくださる神さん」ということらしいです。小さな神社です。

朱印
初参拝時の記事
超近代的(近代的過ぎる?)な仁王門を持つ一心寺は浄土宗のお寺である。門扉も天女の舞姿のレリ−フである。義母の3回忌も過ぎ、納骨に行った。お墓には胴骨が入っているが、本骨(ノド仏)は、仏壇でお参りし、適当な時期に、この一心寺に納骨するのが、宗派を問わずの習わしらしい。ここは、特定の宗派以外は何でもokである。当日は天気もいいせいか、すごい人出であった。受付から納骨まで、たっぷり1時間はかかる。ご回向は本尊の両側で、実にテキパキとした手順で流れるようにすすむのだが、それを上回る人が来ている。私たちも義兄弟家族が揃ったが、他も、まさに親族一同という集団や、若夫婦と子供だけ、中には老人一人も。それぞれ、事情があるのだろう、そんなことに思いを馳せていると、なにやら敬虔な気持ちになる。
お昼は、近くの茶臼山の日本料理店「たかおか」。「吉兆」で修行したという料理長の作る会席は、噂通りの物であった。
−15.11.24 掲載−
写真は、当時撮影したもの。


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