表門(重要文化財)
願泉寺は行基が建てたと伝えられる庵寺から始まり、本尊の阿弥陀如来立像も行基作とされる。応仁年間の1467〜1468年には浄土真宗本願寺の蓮如が立ち寄り教えを説いている。天文年間(1550年頃)には卜半斎了珍が住職となる。天正11年(1583年)7月、石山合戦で石山本願寺から紀伊の鷺森御坊に撤退した顕如を迎え、1585年(天正13年)8月までの約2年間、浄土真宗本願寺の拠点となった。その後本願寺は大坂天満に移転し、慶長12年(1607年)、本願寺准如から「願泉寺」の寺号を授けられた。慶長15年(1610)徳川家康から黒印状を下賜されて寺内町となり、明治までの250年以上に渡って住持の卜半氏が「貝塚寺内町」の領主となって自治を行った。また、明治までは東西本願寺と関係を持っており、両本山歴代門主の絵像を蔵している。現在は浄土真宗本願寺派に所属している。
本堂、表門などの建造物は国の重要文化財に指定されている。現在の本堂は寛文3年(1663年)の建立で、老朽化のため平成16年から半解体修理が行われている。
前回(2009年5月に弥生文化博物館-池上曽根遺跡-貝塚寺内町)に貝塚寺内町として往訪、今回は工事が終わってるかと思い参拝したが、もう少しのようだ。
表門あたりは修復が終わったようだ。 |