千本釈迦堂(大報恩寺)
番外
寺名 大報恩寺(千本釈迦堂)
山号 瑞応山
宗派 真言宗智山派
所在地 京都府京都市上京区
国宝 本堂、仏像多数
SPOT
本堂(国宝) 京都市中で最も古い木造建造物
鎌倉時代初期の安貞元年(1227年)義空によって創建された。 義空は藤原秀衡の孫で叡山で修行の後ここを建立した。釈迦念仏の道場として釈迦如来像、 十大弟子像を安置したのがその 始まりと伝わる。当時は広大な敷地であったが、今はこじんまりとした寺である。
通称「千本釈迦堂」と呼ばれるのは、嵯峨の釈迦堂 (清凉寺)と区別する意味で、千本通りの釈迦堂からきている。
北野天満宮からは近い(直線で400m程)。
おかめの物語や、12月の風物詩である大根焚きで知られる(大根焚きは京都の他の寺でも行われているところがある)。


Snap shot
当日は、大根焚きの日であった。
寺の外にも長蛇の列。券を買った後に食べるのに並ぶ行列です。
門も人・人
これは本堂から撮影
とにかくすごい人です。こんなに来られるとは。
12/7と12/8の二日だけだからね。
大根焚きの現場
一椀に大根三切れと揚げが入ってる。
炊かれた大根を食べると、中風にならないと信じられている。1000円です。
家で炊く人のために、祈念した大根が売ってます。
1000円です。
本堂
本堂 内陣の刀傷のある柱


応仁の乱のとき、この辺りは西軍の中心部であったが、東西両軍の手厚き庇護のもと、特に西軍の将、山名宗全の特別のはからいもあり、この本堂が残されたといわれる。傷跡はその当時の歴史の一こまを物語る。
おかめ の人形が一杯
造営工事棟梁になった長井飛騨守高次は、信徒から寄進された貴重な柱1本を短く切り誤り、途方にくれていたところ、その心痛の様子を見かねた妻「おかめ」が、柱全部を短く切り柱を継ぎ足し長さを補う方法を進言。
高次はこの方法を採用して無事竣工させた。
しかし、おかめは、女が夫の仕事に口をだしたこと、女の知恵で落成したことが分かっては夫の恥とばかり、一切を秘すため上棟式の前日に自刃。高次は、妻の心情にうたれ、上棟式の当日、御幣の先にお多福(おかめ)の面を飾り冥福を祈ったといわれる。現在でも、上棟式の御幣に、おかめの面をつけて建築成就、厄難消滅、家業繁栄を祈る風習があるのはこの故事によるという。
ぼけ封じ観音 南天と紅葉
館内は圧巻である。

行快作の釈迦如来坐像及び快慶作の十大弟子立像をはじめ誕生釈迦仏立像・六観音菩薩像(聖観音、准胝観音、千手観音、馬頭観音、十一面観音、如意林観音)・千手観音立像などを安置している。
霊宝館

千手観音立像(重要文化財)

木造 165.9cm 平安時代

寺の創建より古く、伝来は不詳。

42本の手を持つ、通常形の千手観音

館内の正面 左側に立つ。
六観音
館内、左側に並ぶ。六体揃っているのは、なんと言ってもすごい。
6体共に、重要文化財。木造。鎌倉時代。
地獄は六道に分かれており、それぞれの観音菩薩が救いに向かう。
准胝観音像に「肥後別当定慶(慶派、康慶の弟子)」の銘があり、他も定慶工房作とみられる。
准胝観音像 175.7cm 
人道から人を救う
馬頭観音像 173.3
畜生道から人を救う
十大弟子像 鎌倉時代 快慶 作 重要文化財
十人揃っているのがすごい。
優波離と目犍連に快慶の銘がある。十大弟子像の傑作である。
優波離(うばり) 95.8cm
持律第一
目犍連(もっけんれん) 97.8cm
彼が餓鬼道に落ちた母を救うために行った供養が盂蘭盆会の起源とも言われる。


朱印

kazu_sanの一言
たくさんのおかめが展示されている。

寄進されたものであろう。本日は、本堂内陣からは入れず、霊宝館の入場料を払った人のみ。いつもはどうしているのかは不明。

おかめ(お亀、阿亀)は鼻が低く頬が丸く張り出した女性の顔、あるいはその仮面。頬の張り出した形が瓶に似ているから名付けられたとされる。おたふく(お多福)ともいう。
本来古代においては太った福々しい体躯の女性は災厄の魔よけになると信じられ、ある種の「美人」を意味したとされる。だが時代とともにかわる美意識の変化とともに不美人をさす蔑称としても使われるようになった。

御詠歌:ひとすぢに仏の教たどりなば千本(ちもと)の道も迷わざるらむ


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